適正価格について

買取や商品の値付け作業を行っている最中に、自分で付けたその金額に違和感を持つ時というのがある。

例えば買取の時、1冊1冊査定していき金額を算出して、その合計金額を目にした瞬間「あれ?おかしいな?」と思うのだ。

思っていたより金額が低かったり高かったり、計算は間違っていないのだが、どうも違うなあと感じることがある。どこでどう間違えたのかはよく分からない。だが金額がしっくり来ないことだけは確かだ。そういう時は、(違和感のある)合計金額から数字を足したり引いたりして、自分の納得のいく金額を決めていく。はたから見ればそんな適当な決め方でいいのか?と思われるかもしれないし、実際、値を決めた本人も自信がなかったりもする。だが買取を終えて値付け作業に取り組むと、やはり自分の感覚に従って正解だったなと納得する結果に落ち着くことの方が多い。

買うにしても売るにしても、適正価格(と思われる)金額から大きな距離を感じるとその違和感はやってくるようだ。古本屋をやっている人、或いは古本屋に通いなれている人には、そんな美的感覚が備わっていると思う。

また一方で適正価格は変動するものでもある。

自店の売り場にあるずいぶん前に値付けをした本などをふと手に取って金額を目にすると「おかしいぞ?」となることがある。調べなおすとやはり適正価格ではない。売れないはずだ。

適正価格か否かを判断するセンサーを常に持っていたいという気持ちがあると同時に、自分の美的感覚もまた古びるものでもあるという自覚は必要であると思う。

それと、本は生ものであるという認識も忘れずにいたい。

生ものだからその時その時で価値は変わる。良くも悪くも。

それを判断するには自分の美的感覚を絶えず磨くことが必要だと思う。

ネットが普及して今や誰でも本を売れる時代になっている。

某大手通販サイトの古本価格を見ると破格の値が付けられているのを目にすることがある。

古本屋開業のバイブルとしている本があって、その中で適正価格を判断しその理由を述べられるのが「古本屋」という職業だと書かれていた。

私が古本屋を始めて1年8ヶ月が経つ。

今でも新米のような心持ではあるがそれではいけない。

「古本屋」と名乗るのに恥じないよう仕事を続けていきたい。

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鹿児島市泉町の古ビル「トマルビル」の端にある小さな古本屋です。宜しくお願いします。

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